最近、必然性という言葉について考える。
先日、八木君に誘われて言った伊藤キムさんのGEROの公演の見学会の時にも、ディスカッションの際に必然性の話しが出てきた。
また、大きなジムを経営する方にも必然性の話しをしてくれた。
御二方の必然性の中身はまったく違うのやけども、人によって必然性の捉え方が違う。
必然性って面白い。
何にでも当てはまるんやないか?ってくらい当てはまる。
踊る、歌う、喋る、仮にこの行動を求められてもその時に必然性が無かったら身体が動かない。
演劇で喋る必然性ってなに?
ダンサーが踊る必然性ってなに?
ミュージカルで歌う必然性ってなに?
演劇は喋ら無いと成立し無いのか?
ダンサーは踊ら無いと成立しないのか?
ミュージカルで歌わないと駄目なのか?
勿論、どれも醍醐味としてこれが在るから面白いのやけども。
やってる事を角度を変えて考えてみる。
演技を観たいから、演劇を見る。
踊りを見たいから、ショーを見に行く。
歌を聞きたいから、ライブやミュージカルを観に行く。
でももし、この3つの形態に、その形式的な要素が全く無かったら?
演技しない、踊らない、歌わない。
観に来た人の中にはつまらないと感じる人もいるだろう、観たいものが無かったからと。
その逆もいると思う、良い意味で裏切られたって。
演技は、フィクションからノンフィクションへ、成立する。
ダンスは踊らなくても成立する事もある、実際には身体の内部がめっちゃ踊ってたり、意識はしてるけども。見た目は動いてない事。
ミュージカルも歌わない踊らない、演技しない、アドリブのノンフィクションへ、面白そう。
でも既にそういう手法も存在してる。
既に色んなコンテンポラリーな手法があるけど、結果論で良いかもね。
でも必然性について考えてみる?
さて、自主公演まで残り2週間くらい。
日々の色々な考えから、作品が生み出せる様に頑張ろう。
余談、Facebookを観てたら久しぶりに、笑った記事があった。
後輩が踊った後に、話題のCMのパロディーをしてた。腹筋のCMね。
ステップをした後に、腹筋のね。
めっちゃくだらん。腹筋の前に踊る必要がどこにあるん?って感じ。
でも、CMを知ってる人なら踊る意味が分かるんよね。
こやつの見てもらいたいのは、腹筋のとこ。
でもその前に踊りが在ったから面白かった。
これが逆なら、凄い!ってなるかもしれない。
腹筋の後にステップをしたら、トレーニングのお陰や!みたいな。そんなCMつまらんわ。
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